サド『ジュスチーヌまたは美徳の不幸』(1791)

  

   Donatien Alphonse Froançois de Sade "Justine ou les malheurs du la vertu"




   <目次>

第一章



第一章


 卓越した啓蒙書というのは、神が人間に対して企てる目的を達するために用いる手段について詳述するものかもしれない。そしてそれに基づいて、幾多の名で呼ばれるが未だ知られても明らかにされてもいない、悲運をもたらす運命のいたずらに警鐘を鳴らすべく、人生の苦難の道を歩まなくてはならない哀れな二本足の人間に何らかの行動指針を描き出すことであろう。

 社会の決まり事を重んじ、自分に課せられた制限を決して外れることはないとして、それにも関わらず茨の道より他には出くわさず、方や悪人たちがバラを摘んで回っているとしたら、そうした事に超然としていられるほどのしっかりとした美徳を持ち合わせていない人は、流れに逆らうよりもおもねる方がいいと算段するのではなかろうか。どんなに美しかろうと、美徳は悪徳を前にするとあまりにも弱いのだから、最悪の選択だと言いはしないだろうか。堕落しきった時代にあって、お望みとあれば最高の教養を身につけて、勉強した啓蒙主義を振りかざし『ザディック』の天使ジェスラドと共に「善を生まない悪は存在しないのだし悪に身をゆだねても構わない、何故ならそれは実際善を生み出す方法の一つに他ならないからだ」と言いはしないだろうか。(訳註:ヴォルテールの哲学小説『ザディック』(1747)より。ジェスラドは、悪は善人に試練を与えるのに役立つと説くが、サドはそれを意図的に曲解している)そして善人であろうと悪人であろうと広い目で見れば大差はないのだし、悪徳が美徳を迫害し、罪には繁栄が伴い、自然から見れば物事は皆同じ事であるのなら、挫かれた美徳に与するよりも繁栄している悪徳に与する方がよっぽどいいと、それにつづけはしないだろうか。だから似非哲学の危険な詭弁に対しては予防線を張っておくのが重要である。堕落していても何らかの善き本然が残っている魂にそれを見せてやることで、美徳の実践によって最も輝かしく、そしてうれしい褒美である栄冠を見せられるのと同じくらい確実に、この魂を正道に連れ戻し得る、そういう不幸に見舞われた美徳の例を示す必要がある。この上なく美徳を重んじる心優しく感受性の強い女性を数々の不幸が打ちひしぎ、一方でこの女性を苦しめたり痛めつけたりする人々が繁栄を欲しいままにする様を描写するのは、つらいことに違いない。だがもしそうした不運を描いた絵から一つの善が生まれるならば、描いたことを悔いるだろうか。事実を明らかにしたからと言って、遺憾に思うことがあろうか。何故なら読書から実りを得る賢き者は、ここから神の摂理を遵守すべきであるという教訓を得ると共に、我々を自らの義務に立ち返らせるためには、しばしば天はこの上なく立派に義務を果たしていると思われる身近な人物に対して打撃を与えるものだという重大な忠告を読み取るからである。

 このような思いにこの作品は導かれている。だからこうした教訓を求めんとする意図をかんがみて、幾多の登場人物の口にのぼる誤った論理や、真理を愛するが故にご覧に入れざるを得なかった、時にあるややどぎつい場面にもご容赦いただきたい。

 ロルサンジュ伯爵夫人はヴィーナスの巫女(訳註:娼婦)の一人であり、彼女の富は美貌の容姿と数々の不品行の賜物だった。彼女の称号はどんなに華麗なものであっても、シテール島(訳註:ギリシア語でキュテラ島、ヴィーナスが住む島)の古文書にしか見当たらず、その名を持つ者の自惚れがそれを捏造し、その名を呼ぶ者の愚かな軽信がそれを維持していた。亜麻色の髪、美しい肢体、独特の印象を与える瞳。今時流行の不信仰は恋心にスパイスを効かせるので、そういう兆しのある女ほど引く手あまたになる。小狡くて規律など微塵もなく、悪徳というものをまったく信じはしないものの、それでして情が消え果てるまでには心が堕落しきってもいない。高慢にしてふしだら、ロルサンジュ夫人とはそういう女であった。

 しかしながら、この女は最上の教育を受けていた。パリの名だたる大銀行家の娘であり、ジュスチーヌという名の三歳年下の妹と共に首都の最も有名な大修道院の一つで養育され、二人が12歳と15歳になるまでは、姉妹のどちらもいかなる教育も教師も書物も才能も与えられないものはなかった。
 この二人のうら若い少女たちは、美徳に対して致命的な影響を与える年頃に、一夜にしてすべてを失った。痛ましい破産のせいで、父親は過酷な状況に失墜し非業の死を遂げ、その妻も死の一ヶ月後に後を追った。冷徹な遠縁の親戚二人が年若い孤児たちをどうするか話し合い、彼女たちの遺産の取り分は債権者に吸い上げられて、それぞれ100エキュずつあてがわれた。(訳註:多分、現代日本では数十万円相当)誰も彼女たちを引き取るつもりはなく、修道院の扉を開けて持参金を返すと、どうとでも好きなものになるがいいと放り出したのである。

 ロルサンジュ夫人は当時ジュリエットと呼ばれ、性根も思考もほとんどまったく、これから語る物語の頃にはなっていた三十女のものと同じに出来上がっており、自由になる喜びしか感じず、自らの束縛を断ち切った残酷な運命の事など微塵も思わない様子であった。ジュスチーヌの方は年相応で、前に述べたように12歳であり、暗く沈みがちな性格で、自分の置かれた状況の恐ろしさの限りを存分に感じていた。生まれながらに優しく驚くほどの思いやりがあり、姉の手管と抜け目なさの代わりには、無邪気さ、彼女を幾多の罠に陥らせることになる純真さの他になかった。この若い娘は美点に満ち、それが柔和な顔立ちに相まって、自然が美しくしたジュリエットの顔立ちとはまったく違っていた。一方の相貌には手練手管や媚態が見て取れたのに対し、もう一方には恥じらい、慎ましさ、内気さがあった。汚れのないたたずまい、思いやりと同情に満ちた大きな碧い瞳、まばゆい肌、柔らかでしなやかな腰つき、心に触れる声、象牙のような歯、そして比類なく美しいブロンズの髪、これがこの魅力的な妹の素描であり、その素朴な気品と繊細な相貌たるや、筆舌に尽くしがたい。

 修道院を去るにあたり二人はそれぞれ24時間が与えられ、100エキュを手に適当と思う行き場を自分でさがすように言われた。自由の喜びを感じていたジュリエットは、しばしジュスチーヌを泣き止ませようとしたが、無理だとわかると慰めずにたしなめはじめた。彼女は妹の情の脆さを咎め、年相応よりかなりひねた人生哲学をもって言い聞かせた。このご時世、自分自身のこと以外は思い悩むべきではない。胸を打ちひしぎ苦痛を与えかねない道徳感情をすべて消し去るだけの刺激的な肉体的快楽は、自ら見つけ出すことができる。本物の賢明さとは苦しみの総和を増やすよりも楽しみの総和を倍加させることにあるのだから、それだけこのやり方をすることが重要に決まっている。我々に悲しみしかもたらさない、他人に利用されるばかりの裏切り者の情の脆さを、自分から取り除いてしまわない手はないのだと。しかしながら善良な心を冷酷にするのは難しく、悪知恵から出た理屈や、小賢しい知性の持つうわべの美しさに対し慰撫するような快楽になど、靡くものではない。
 ジュリエットは別の手を用いて、自分たち二人の年と容姿をもってすれば飢え死ぬなんてあり得ないと妹に説いた。彼女は隣家のある娘を引き合いに出し、その子は親元を逃げ出して今や金持ちになり、親に養われたままでいたよりずっと幸せになっている、若い娘は結婚によって幸せになるなどとは信じないようにしなくてはならない、婚姻の掟に縛られれば我慢する事がいっぱいで楽しい事なんてほんのちょっとしか望めはしないが、淫蕩に身を任せればいつだって愛人の不機嫌から身を守ったり愛人の数を慰めにしたりできると言った。
 ジュスチーヌはその話に嫌悪感を覚え、恥辱を負うくらいなら死んだ方がましだとこたえ、頼み込まれる度、彼女が戦慄するような事を実行すると心に決めた様子の姉とは共に暮らすのを拒みつづけた。
 やろうとしていることがあまりに違うとわかり、二人の若い娘は袂を分かった。再会の約束すらしなかった。貴婦人になってやると言い張っていたジュリエットが、気立ては善良であっても卑屈で、自分の体面を損ないかねないような小娘を引き受ける事に承諾しようか。そしてジュスチーヌの方も、いずれろくでなしや放蕩者の餌食となるような背徳的な人間の仲間になって、自分の品行を危険に曝したがっただろうか。二人とも永遠の別れを告げて、次の日に修道院を出た。

 ジュスチーヌは幼い頃母親の仕立屋にちやほやされており、その女なら自分の不幸に同情してくれるだろうと思った。彼女は会いに行って自分の不幸を語り、針仕事をさせてほしいと言った・・・しかしほとんど忘れられていて、無碍に追い返された。
 哀れな娘は言った。
「何てことかしら。世間に出るなりはじめから悲しまなくてはならないなんて。あの女は以前は私を愛してくれたのに、どうして今日は拒んだのかしら。ああ、それは私が孤児で貧しいからなのね。私はもう世間では何の値打ちもないのだわ。人は自分がもらえそうな援助や楽しみに見合ったようにしか他の人に敬意を持たないのよ」

 ジュスチーヌは泣く泣く神父に会いに行き、彼女の年頃にはあるみなぎる純真さをもって、自分の境遇をつぶさに語った・・・彼女は小さく体にぴったりとした、白いドレスに身を包んでいた。美しい髪は大きなボンネットでしどけなくくるまれ、ほのかに膨らみを見せた乳房は二、三枚の薄布の下に覆われていた。その愛らしい面立ちは、身を苛む悲しみにわずかに青ざめ、両目に玉のような涙を溜めていて、言葉より多くのことを物語っていた。
 ―ジュスチーヌは徳の高い聖職者に言った。
「神父様、ご覧のように私は、若い娘にはあまりに悲惨な立場に置かれています。父も母も失いました・・・まだ助けがいちばん必要な年頃に、神様は二人を奪い去りました・・・神父様、両親は破産して亡くなりました。もう何もありません・・・これが残してくれた全てです」
彼女は12ルイを見せながらつづけた。
「惨めにも私は寝る場所もありません・・・神父様、私を憐れんで下さいますね。あなたは信仰の僕ですし、信仰はいつも私の心に美徳を与えてくれました。私が何よりも愛し、あなたがその代弁者である神の御名において、第二の父として、私は何を為しいかに生きるべきか、お導き下さい」
 慈悲深き神父は、ジュスチーヌを物欲しげに見ながらこたえた。
「ここの教区は面倒を見る者が多すぎて、新たに施しを受けるのは難しいことです。しかしもしあなたに奉仕として大いに働く気がおありでしたら、調理場にはいつも一切れのパンがあることでしょう」
そう言いながら、神の代理人はその手を彼女の顎の下に滑らせ、聖職者としてはあまりに世俗的な口づけをした。ジュスチーヌは相手の事が嫌というほどわかって、彼をはねのけた。
「神父様、私はあなたに施しも下女の仕事も求めはしません。ついこの前、私はその二つのご厚意を乞わざるを得ない状態よりはましなところを出て来たばかりです。私が願うのは私の若さと不幸に必要な助言ですのに、あなたが求める代価は少々高すぎます」
 善き羊飼いは内心を暴かれて恥ずかしくなり、すぐさまこの子羊を追い出した。独り立ちを余儀なくされた最初の日に、二度まで拒絶された不幸なジュスチーヌは、貼り紙で見た家へ行って六階にある家具付きの小部屋を貸り、家賃を前払いするのだった(訳註:社会階層で住む階は異なり、六階は下層階級が暮らしていたそうです)。そして感じやすく、また小さな誇りが残酷にも傷つけられたので、よりいっそう痛ましい涙に暮れるのである。

 ここで一旦ジュスチーヌのことはさて置いて、ジュリエットに交代するのをお許し願おう。そしてどうやって彼女が平凡な身分を抜け出したのか、妹と同じ持ち合わせしかなかったのに15年のうちに爵位を得、3000リーヴルの金利収入ときらびやかな宝石を我が物にし、街にも田舎にも2、3の邸宅を構え、最も信望厚い大臣候補、国会議員コルヴィーユ氏の愛と財産と信頼を目下勝ち得たのか語ろうと思う。それが茨の道であったことは疑いもない。あのような商売女の修行の道は、何より恥ずべき過酷なものだ。ある女は今でこそ王子様の褥にはべってはいても、もしかすると、若さと経験不足のせいでその手に落ちた、放蕩者のつけた屈辱的な暴力の痕を残しているかもしれない。

 修道院を出ると、ジュリエットはかの近隣の娘友だちから名を聞いていた、ある女性を訪ねた。自分がこうありたいと望むままに堕落し、その娘にも堕落させられていて、小さな手土産を腕に、青いロングドレスを着崩し、髪を垂らし、実にそのしどけなさである種の人々の目を魅惑し得るような、世にも艶めいた姿で女に近付いた。ジュリエットはその女性に自分の身の上を話し、かつての女友だちにしたように目をかけて欲しいと懇願した。
「おいくつかしら」
ドゥヴェルジュは尋ねた。
「あと幾日かで15ですの」
とジュリエットはこたえた。
「それで、まだ男を知らないんだね」
娼家の主はつづけた。
「あら。ええ、奥様。誓いますわ」
そうジュリエットは返した。老女は言った。
「だけど、えてしてああいう修道院には、聴罪司祭なり、尼僧なり、お仲間なりがいるものよ。確かな証拠が必要ね」
「奥様、それを手に入れるかどうかは貴女次第です」
ジュリエットは顔を赤らめてこたえた。
 老婆は眼鏡をかけ、ありとあらゆる部位を事細かに調べ上げた。彼女は娘に言った。
「さて、こうしないとここには居られないよ。私の助言に十分敬意を払うこと。徹底して、お客には愛想良くして従うことと、身ぎれいにして、節約して、私の前では素直であること。仕事仲間には駆け引きを、男たちには欺きを。そうすれば10年のうちに、足を洗って化粧箪笥と鏡と召使いの付いた4階の部屋にも住めるようになる。私の所で身につける手管があれば、他の物だって手に入るさ」
 そうした忠告を与え、ドゥヴェルジュはジュリエットの手土産を引ったくった。そして金は一銭も持たないのかと尋ねた。真正直に100エキュ持っていると白状すると、愛しき養母はそれを取り上げた。そして新しい下宿人に、このささやかな元手は籤に投資してやるが、若い娘は金など持たなくていいと言い放った。
「金は悪だくみの元だからね。こんなに腐敗した時代だもの。賢く生まれの良い娘は、自分を何らかの陥穽に引き込みかねないものは皆、注意深く避けなくちゃいけない。ねえ、お前のために言ってるんだよ」
そう老婆は言い、こう言い添えた。
「お前は私のすることに、感謝することを知らなきゃならないよ」

 説教が終わり、新入りは仕事仲間に紹介された。彼女は娼館に部屋をあてがわれた。そして次の日には、初物が売りに出された。
 4ヶ月にわたり、商品は次から次へ100人近くに売り飛ばされた。ある物は薔薇を摘んで良しとし、より洗練されたというか変質的な者は(どちらとも言い難いが)傍らに咲く蕾を開かせたがった。その度に、ドゥヴェルジェはそこを縮めて戻し、4ヶ月間、淫売娘はいつも初物として供された。その茨の修行の果てに、ジュリエットはやっと助修女の免状を得た。その時彼女は本物の娼館の娘と認められ、晴れて労苦と実入りを分かち合うこととなった。そして次の見習い期間となった。最初の修練では、いくつかの過ちはあれ、ジュリエットは生まれに従ったのだが、次では戒めを忘れてしまった。品行は完全に腐敗し、悪徳で成功を得たことで、魂はすっかり堕落した。彼女は思った。私は罪を犯すために生まれて来た。せめて名家にのし上がり、つまらない下賤な境遇を抜け出さなくては。同じ罪を犯し、同等に品位を貶めたとて、到底同じ利益はやって来ないのだから。彼女は大変遊蕩好きのある老貴族に気に入られたが、はじめは片時しか呼ばれなかった。だが彼女には見事に自分を場に留める手管があり、遂には折り紙付きのシテール騎士団のおそばで、芝居に散歩に姿を見せた(訳註:シテールはヴィーナスの出身地)。人は彼女を眺め、名を呼び、羨んだ。この狡猾な女は取り入る術を良く心得ていて、4年も経たずに6人の男を破滅に追い込んだが、いちばん貧しい者でも10万エキュの年金があった。評判を上げるのに、それ以上は必要なかった。世の男どもの盲目ぶりとはかようなもの、女が破廉恥ぶりを露呈すればするほど、顧客名簿に載りたがる。女が品位を貶め腐敗する度合いが、彼らが恥知らずにも彼女に示す行為の尺度になるようであった。

 ジュリエットが20歳になろうとした時、ロルサンジュ伯爵というアンジュー地方の40歳くらいの紳士が大層夢中になり、自分の名を与えようと決めた。彼女の1万2千リーヴルの年金を認め、もし自分が先に死んだら残りの財産を与えると保証した。彼は屋敷を、使用人を、衣服を与えた。それである意味世間で一目置かれるようになり、2,3年のうちに自分の出自を忘れさせることに成功した。
 ここで不幸にもジュリエットは自分の生まれや良い教育への自覚をすっかり忘れ、悪しき助言と有害な書物に貶められて、一人を楽しみたい、称号は手にしても束縛はまっぴらと急き立ち、夫の寿命を縮めようという罪深い考えで頭がいっぱいになった。その忌まわしき計画を思いつくと、彼女はそれを温めた。意を固めたのは不幸にも、道徳を踏み外し肉体が燃え上がった危険な時だった。その瞬間は、決意の誤りにも願望の激しさにも逆らうものは皆無であり、快楽というのは打ち砕かれた軛の数やその聖性の程度によち生気を得るものなので、ますます抗いがたい。良識を取り戻せば夢想は消え去るし、そういう躓きはありふれている。それは空想上の過ちであり、勿論、空想上のものは誰も傷つけないが、不幸にも行き過ぎると別だ。恥知らずにも彼女はこう呟いた。この考えを実現させたらどんなだろう。心に浮かんだだけで、こんなにも生き生きと胸が高鳴り掻き立てられるのだから。呪わしい妄想は焚きつけられ、その存在は犯罪となる。

 ロルサンジュ夫人は幸運にもごく秘密裏に事を遂げたので、あらゆる追求を免れ、夫殺しというおぞましい大罪の痕跡を、夫と一緒に墓に埋めてしまった。再び自由の身となった伯爵夫人ロルサンジュは、かつての性癖に立ち返った。だが幾分世間で信用を得ていたので、少しばかり素行の不品行を加減した。彼女はもう囲われ者ではなく、宮廷人も庶民も招かれると浮かれるような気の利いた夕食を振る舞う金持ちの未亡人であった。言うなら品位ある女性というやつだが、200ルイのために寝たり、月額500ルイで身を任せたりしていた。

 26歳になるまで、ロルサンジュ夫人は華々しく男たちを征服して行った。外国の大使を3人、徴税人を4人、司教を2人、枢機卿を1人、王の近衛騎士を2人破産させた。最初の罪で終わるのは稀だが、とくにそれが上首尾に行ったので、ジュリエットは不幸にも、最初と同じような犯罪に新たに2つ手を染めた。1回は、家族を顧みず彼女に相当額を預けていた愛人から盗み取るためで、ロルサンジュ夫人は例の恐ろしい手口でそれを隠蔽した。もう一回は、彼女の崇拝者が第三者名義で作った、死後全額引き渡すという条件の10万フランをなるべく早く手に入れるためだった。残忍にも、ロルサンジュ夫人は3,4回堕胎を行った。美しい姿態を損なうことへの恐れ、二股をかけたことを隠したい思い、そうしたすべてのために、身持ちの悪さを露呈する胎児の存在を消し去ろうと思い立った。これらの大罪が知られて誰かに邪魔されることもなかったので、この抜け目ない思い上がった女は、始終新しいカモを探していた。

 繁栄には最大の悪しき行いをも伴い得るのは事実である。堕落と退廃に浸りながら、人が幸福と呼ぶあらゆるものが人生についてくることだってある。だがこの残酷で悲劇的な事実に動じるなかれ。美徳に不幸が付きまとう例を間もなくお見せするのだが、善良な人たちがなお苦しむことのないように。罪と偽りへの賞賛は見かけにすぎない。このような成功に魅せられた者は勿論、摂理によって罰が運命づけられているが、そうでなくても、自らを絶えず蝕む蛆虫を心の底に養うことになりはしまいか。そして歪んだ偏光からの喜びは阻まれ、無情の愉楽の代わりに、心は自らが行った或いは行う罪の記憶に引き裂かれるだけではないか。一方、虐げられた不幸な者たちは良心が慰めとなり、美徳によって得られる内的な喜びがたちまち人々の不正を贖う。

 ロルサンジュ夫人の罪状はかくのごとしであったが、その頃、齢は50、先ほど書いたように信用と尊敬に恵まれたコルヴィーユ卿が、この女にすべてを献げ、添い遂げようと決めたのだった。彼女の側に気があったのか、そういう素振りか策略か、彼は目的を達し、まったく正当な夫婦であるかのように4年間を共に暮らした。その時モンタルジ近郊のとても美しい土地を手に入れ、二人はその地方でしばらく過ごすこととなった。


inserted by FC2 system